光の聖書

〜マロリーホールのステンドグラスで学ぶ〜

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ようこそマロリーホールへ

ようこそマロリーホールへ

ステンドグラスのルーツも残存する最古のステンドグラスの精神も、キリスト教の信仰にあります。マロリーホールを彩るような美しいステンドグラスが誕生したのは、12世紀のフランスにおいてです。サン・ドニ修道院長Suger(シュジェール)が後にゴシック建築と呼ばれる様式を取り入れ、重い大きな支えの壁を不必要として、教会堂に高く広い空間を創造し、外から光を豊かに取り入れることに成功したことによります。
サン・ドニ大聖堂の入口に立つと目に映る言葉があります。
「あなたが誰であれ、絢爛豪華さではなく、作品に込められた職人の技に目を止めてください。高貴な作品の輝きは、あなたがたの心を輝かせ、その心を真の光として、キリストが真の扉としておられる、あの真の光へ旅立たせてくださいます。私たちの鈍る精神は、物質であるものによって、真理の高みへ引き上げられ、そして、この光を見て、かつての沈んでいた状態から復活させられるのです。」 マロリーホールのすべての作品は、1995年から2017年までの西南女学院大学短期大学部(西南女学院短期大学)の卒業生の皆様から卒業記念品として献げられたものです。
どうぞ、その思いと芸術的技による、光による聖書の世界をお楽しみください。

学校法人 西南女学院  学院宗教主任 田中 綜二

キリスト教に起源をもつ「ステンドグラス」

ステンドグラスのルーツは、ローマ迫害下の初期キリスト教時代に、地下に掘られたカタコンベの採光の窓に遡ると言われ、4世紀までには聖堂に用いられていた記録が残っています。

光とステンドグラス

現在のような芸術作品として残る多くのステンドグラスの基礎を築いたのは、12世紀のパリ近郊にあるサン・ドニ修道院の院長シュジェールです。史上初となるゴシック建築様式によって外から光を豊かに取り入れることが可能となり、あの美しいステンドグラスが誕生したのです。

聖書とステンドグラス

ステンドグラスには、聖書のテーマが多く用いられています。聖書を読むことができない民衆にとって、ステンドグラスはキリスト教教育の大きな役割を果たしました。しかし、教育的意義以上に、ステンドグラスは、私たちに、超越した神の恩寵あふれる生命と愛の真の光との出会いを与え、全身に浴びる喜びを体験させる力を持っています。このようなことから、聖書の物語にある大切な場面や、キリスト教の教理を示す象徴的な図、キリスト教の歴史での重要な人物などが描かれています。

マロリー記念館

キャサリン・マロリー女史

キャサリン・マロリー女史

マロリー記念館は、南部バプテスト婦人伝道部総主事であった米国人キャサリン・マロリー女史によって、1949年に献げられた本学の歴史的建造物の一つです。
ヴォーリズ建築事務所の設計で、1950年3月に竣工したこの建物は学院本部として使われており、3階建ての館内の1、2階部分が礼拝堂になっていることから、通称マロリーホールと呼ばれ、大学・大学短期大学部の礼拝が毎週行われる他、コンサートや講演会などの会場としても活用されています。また、ホール内には卒業生により記念品として献げられたステンドグラスが設置されています。

マロリーホール

マロリーホール

マロリーホールにあるステンドグラス

マロリーホールにあるステンドグラスも、聖書を題材としています。作品には、4つのジャンルがあります。1つ目は、正面に向かって左手のもので、旧約聖書物語を描いています。2つ目は、右手のもので、新約聖書物語を描いています。3つ目は、聖書全体のテーマによるものです。最後に、これ以外にある小さなものは、聖書の象徴的な植物や動物を描いたものです。

旧約聖書物語

旧約聖書物語

(1)旧約聖書物語

聖書は、神による創造の物語で始まります。

「光の川」

「光の川」

1.「光の川」

(創世記 第1章3節)
最初に、神は天地を創造しました。原初の世界は、混沌な状態で、真っ暗で、水の上を神の霊が、風のようにピューピューと吹き荒れ、覆うように動いていました。そのとき、神が「光あれ。」と言われると、光がありました。光によって、辺りが美しく照らされました。
光があることになり、神は、光と闇を分け、光を昼と名付け、闇を夜と名付けられました。これにより、昼と夜ができましたが、闇が先でしたから、聖書では、一日は闇が始まるとき、つまり、日没の時から一日が始まります。そこで、「夕べがあり、朝があった。第一の日である。」と、記されています。

「生命の水」

「生命の水」

2.「生命の水」

(創世記 第1章7節)
さて、第2の日に、神が「大空あれ。」と言われると大空がありました。ただ、大空は、水の中にあって、水が大空の上下に分かれ、大空の上にも下にも水がある、という物語になっています。夕べがあり、朝があり、第2の日です。大空の下の水が一つ所に集められて海と呼ばれ、乾いた所が現れ地と呼ばれました。神は、地に植物を生えさせました。夕べがあり、朝があり、第3の日です。第4の日には太陽や月や星などの天体を造られました。第5の日に、神は魚や鳥を造られました。さらに、第6の日に、神は、爬虫類や動物、家畜を地から産み出されました。

「人の創造」

「人の創造」

3.「人の創造」

(創世記 第1章27節)
神は最後に人を創造されました。神は人を男と女に創造されました。これで、6日間かけて、天地創造が完成したのです。これが、創世記第1章の物語の全体です。
ところが、人間の創造の物語には、別な物語があります。これが創世記第2章以下にある物語です。神の呼び名も「主」となります。主は、人を土の塵で形づくり、鼻から命の息を吹き入れて、生きる人を造られました。主は人をエデンの園へ連れて行かれました。エデンの園の中央には、命の木と善悪の知識の木がありました。主は、人に、何でも木から取って食べてよいと言われましたが、善悪の知識の木だけは例外としました。これを食べると死ぬと警告したのです。
そして主は、人が独りでいるのは良くないので、彼を眠らせ、そのあばら骨の一部を取り、それで女を造り、人のところへ連れて来られました。こうして、男女となりました。

「主の言葉」

「主の言葉」

4.「主の言葉」

(申命記 第5章5節)
聖書物語では、人は禁断の木から果実を取って食べ、エデンの園を追放されます。やがて、主は、人類救済のために、アブラハムという一人の男をお選びになりました。その子孫は、エジプトへ移住し増え、イスラエル人と呼ばれました。エジプトの新しい王によって、彼らは400年間も奴隷とされましたが、主は、モーセをリーダーとしてお選びになりエジプトから脱出させられました。イスラエル人が神の民として人類救済の使命を果たすように、主は、モーセを通して、十の言葉、つまり、十戒をお与えになりました。それは、神の民として生きる神の道を示されたものです。ここに、イスラエル民族の歴史が新しく始まりました。旧約聖書で、唯一、想起しなさいと言われているのがこの出来事です。
旧約聖書は、この後、やがて「キリスト(救い主)」が出現するという預言で終わります。

(2)新約聖書物語

新約聖書は、イエスという人が預言されていた「キリスト」です、と主張する書物で、イエスの誕生物語から始まります。

「新約聖書物語」

「新約聖書物語」

「降誕」

「降誕」

1.「降誕」

(ルカによる福音書 第2章7節)
イエスの誕生の次第はこうです。処女マリアに天使が現れ、生まれる子をイエスと名付けなさい、と言った上に、聖霊によって身ごもり、聖なる者、神の子を産むことを告げました。その頃、支配国であったローマ帝国が、税制のため、全領土の住民に自分の町で住民登録をせよとの勅令を出したので、マリアも婚約者のヨセフと一緒にユダヤのベツレヘムという町へ旅立ちました。着くとどの宿屋も満室で泊まるところがなく、月が満ちたマリアは産んだ子を布にくるんで飼い葉桶に寝かせました。

「十字架」

「十字架」

2.「十字架」

(ルカによる福音書 第23章46節)
イエスの歩んだ道は、羊飼いが迷った羊を世話するように、十戒の示す道からはぐれた人々を探し出し、病人を癒し、人を愛する道でした。しかしそれは、いばらの道でした。人に理解されず、捨てられ、やがて政治犯として極刑の宣告を受けて鞭で打たれ、十字架の上につけられ、処刑されるという十字架への道でした。処刑される時、すべての人を赦し、大声で神に向かって「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と叫んで息を引き取られました。30代前半でした。

「光の木」

「光の木」

3.「光の木」

(ヨハネによる福音書 第11章25節)
イエスの政治犯としての処刑により、弟子たちは逃げ隠れし、イエスを慕っていた女性たちも喪失体験の中にいました。すると、3日目の日曜日の朝、父なる神がイエスを死者の中から復活させ、イエスはまずマグダラのマリアに現われ、次に弟子たちに現われました。人がイエスを悪人として排除しても、神の目には正しい人であったことが証明されたのです。イエス・キリストは、こう言われます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」イエス・キリストを讃えて、ヨハネによる福音書を書いた人は、その第1章で「命は人間を照らす光であった。」と記しています。

「主の晩餐」

「主の晩餐」

4.「主の晩餐」

(コリントの信徒への手紙一 第11章24節)
イエスは、処刑される前夜、弟子たちと最後の晩餐をされました。弟子といっても、食後の行動を見れば、弟子とは言いえないような人々です。一人はイエスを祭司長たちへ引き渡してしまうイスカリオテのユダです。もう一人は、逮捕されたイエスの後をついて行って、人々からイエスの仲間だと言われる度に否定し、3度もイエスとの関係を否認した一番弟子のペトロです。他の弟子も、皆、逃走してしまいました。こういう弟子との最後の晩餐の席で、イエスは、全員の足を洗われました。洗足は、当時は奴隷のすることでした。それからイエスは席について、パンを取り、感謝の祈りをしてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにされ、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言われました。
旧約聖書ではモーセの十戒の場面に象徴される出エジプトの出来事、そして新約聖書ではイエス・キリストの最後の晩餐の出来事、聖書全体を通して、この2つだけが、想起するように命じられています。

(3)聖書全体のテーマ「平和(シャローム)への祈り」

(ヨハネによる福音書 第20章19節)

鳩は聖書では平和の象徴です。1949年にパリで開催された国際平和擁護会議で「オリーブの枝をくわえた鳩」のポスターが作られました。このデザインは、旧約聖書のノアの箱舟の物語に由来します。物語では、地に悪がはびこり、神は人間を創造したことを後悔して、唯一正しい人であったノアとその家族以外は洪水によって滅ぼす行為に出られました。その時、神の命令でノアたちは大きな箱舟を造り、動物を1つがいずつ中に入れました。洪水が止んでから40日目に鳩を放ったところ止まる所が見つからず帰って来ました。47日目になり、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえて帰って来たので、水がひいたことを知ります。やがて地は乾き、ここに悪のない世界として、新しい正義と愛による平和な世界が再び始まったのです。新約聖書でも、復活したイエス・キリストが弟子たちに語った願いは「あなたがたに平和があるように」でした。平和は聖書全体のテーマとなっています。
平和のメッセージを携える鳩が左手(旧約聖書物語)の方から外に向かい、世界をめぐり右手(新約聖書物語)の方から内へ向かうように描かれています。その下の方に平和を祈る乙女のシルエットがあります。
西南女学院の感恩奉仕の精神により、7万人に及ぶ同窓生と共に私たちが世界平和に貢献することを祈る祈りでもあります。

「麦」

「平和への祈り」

「平和への祈り」

(4)小作品集

聖書には、シンボルとなるものが沢山あります。その中でも代表的なものを描いて作品にしたものが、寄贈されています。

1.ぶどうの木とその枝

イエスは、その示す道の内にいる限り、わたしたちが愛の行いという実を豊かに実らせることができると教えています。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書 第15章5節)

「ぶどうの木とその枝」

「ぶどうの木とその枝」

2.麦

イエスは愛し貫く生涯を送られました。死期が間近となり、弟子たちと別れる時が刻々と迫る中で、イエスは自分を一粒の麦にたとえて語られました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書 第12章24節)
イエスの命は、その死を通して、すべての人を永遠に生きるものとしました。この地上において愛によって生きる力を与えるものであることが語られています。

「麦」

「麦」

3.白百合

白百合は、イエス・キリストの復活の象徴として、また、イエスご自身の象徴として用いられています。
白百合を英語では「イースターリリー」と言い、イースター礼拝のときに、イエス・キリストの復活の象徴として生けます。イースター礼拝とは、イエス・キリストの復活を記念する礼拝を言います。ある説明によると、百合は、花が枯れ花の命が終わっても、地面の中の球根は命であり、再び新しい芽を出し花を咲かせます。このようなことから、百合の花は、「たとえ私たちの目にその姿は見えなくても、イエス・キリストは復活されておられる」ということの象徴として用いられているということです。しかも、その球根は、イースターの季節を待つようにして、そのとき芽吹き花を咲かせることも、その理由となっています。
また、讃美歌第2編192番には、「シャロンの花イエス君よ」という歌詞があります。意外と思われるかもしれませんが、聖書には恋文の男女を神と私たちにたとえている雅歌という文学作品があります。その中に、神について、「わたしはシャロンのばら、野のゆり」(第2章1節)という句があります。この讃美歌は、この「わたし」をイエスと置き換えている讃美歌です。

「白百合」

「白百合」

マロリーホールへ、ステンドグラスの光を浴びるひと時のために、
いつでもいらして神の恵みと平和に包まれる瞑想の時をお過ごしください。